ウキクサバチdays

ふらっと気ままに詩とか散文をのせるとこ

散文: ぼろの存続

別に何も特別なことはなかった。ただいつものように疲れきっていて、糸が切れたように眠った。そうして、そう…眠ったまま私はそこに影があるのを見ていた。

影は人の形をしているようだったが、人の形そのものだとは言い難い形をしていた。部屋が暗いことや、それが影であることを鑑みても、どこか異常なほどぼんやりと感じられるのであった。それは寝ている私の足元の方にわだかまって、おそらく佇んでいた。

恐怖というにはいささか精彩を欠いた心持ちで私は起き上がろうとしたが、何故か身体は少しも動かない。声を出そうと試みて、いやに重たい声帯をなんとか震わせると、あ、とか、う、だとかの呻き声が、影の方からした。

私は狼狽した。私は確かに、ベッドに横たわる体の頭であろう位置からこの場を見ていて、この体は私だと、当然のように認識しているのに、私の絞り出した声は、あの影から発せられたのだ。

ふと影がこちらを見たような気がして、急にどくどくと、心臓が騒ぎ立てた。なにか、私はなにか、あれを知っている。そうして、あれがこちらへ来る前に、閉じなければならない。閉じて終わりにしなければいけない。そうしないとどうなるのか、説明できないのに、私は知っていた。きっと失われる。損なうことになる。それは何よりも恐ろしいことで、けれど普段は誰もが忘れていることだ。

閉じなければ。眠らなければ。意識を混沌へと拡散させて、私を隠さなければ。そう思うのに、そのやり方を忘れてしまったように、私はただ見続けた。先程の曖昧さが嘘のようにはっきりとした恐怖と脅迫観念を感じながら、私は見続けた。影が何度も何度もひきつれた呻き声をあげながら這い上がってくるのを。ああ私は知っている。これは私だ。明日からの私だ。いっぱいになって、重たくて動けなくなりそうな私を、もう一度カラにして動かすための、新しい私。


その時何が起こったのか、どうしてこんなことになったのか、私にはよく分からない。気がつけば、私は起き上がって鈍色の刃物を前に突き出した状態で、肩で何度も息をしていた。新聞屋のバイクが去っていく音が聞こえて、それから鳥の鳴き声や置き時計の秒針の音が聞こえた。見渡せば、ただただ普通の自分の部屋で、何がいるわけでもなかった。

おそらく、私は、私を、捨てずにすんだ。この憂鬱な重たい心を、息をするのにも疲れた肺を、何を見るのも嫌になってしまった目も。こんなものを引き摺って、生きていくのは楽じゃない。だったら、そうだ。原因と共に全部なくしてしまえば、なんていうことだったのかもしれない。それでも私は、それは違うのだと言えた。このひねくれた心を、軟弱な肺を、疑り深い目をなくしたくなかった。時計を確認すれば、あと1時間もしないうちにアラームが鳴る時間である。けたたましい朝が来る。そうして今日も、見下げ果てたと語る視線の中冴えない一日を過ごして、なんとか静かな部屋に帰れば、疲弊しきって何もせず眠るのだろう。ため息を吐いて、ふと笑った。何も変わらぬ朝であるのに、なんとなくいい気分だった。

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